2018年2月22日木曜日

当り前に中途半端なわたしたちについて

アラム・ジュン、韓国から来た子。

韓国はソウルにある出版活動組織・The Book Society について、メンバーであるアラム・ジュンが紹介する、そういう告知文を呼んで、その頃出版にずぶずぶと足を踏み入れつつあった私は惹きつけられた。
韓国は未知の国だった。だからこそ惹かれるものもあった。韓国どころではない、それまでの私は日本人以外の人との交流はほとんどなく、どこか宇宙人くらいの遠い感覚だったし、いくら韓流ドラマやKポップが流行っていても、歴史にしても、そういう映像や文字がいくら身の回りに溢れていても、どこか現実味がなく、なんだかとても遠かった。
知ろうともしていなかったのかもしれない。知りたいとも思っていなかった。知りたいという欲求が自分の中にうまれる事、それは私の関心事でもあった。

普段から何をするにもうだうだと考えあぐね、お尻が重くなりがちな私だったが、それでも気になる気持ちの方がほんの少しまとわりついて、メールでイベント参加の予約を入れ、西荻窪の会場へと向かった。
始まる時間ギリギリにいま東京に到着したという風で慌ただしく飛び込んで来た彼女は、肩までの黒髪に丸めがねをかけていて、ちょっと着崩れ、スーツケースを傍に置くと、そのままの勢いでプレゼンテーションは始まった。英語と、通訳の少しの日本語を交えながら、一通り話を終え、質問が飛び交う。韓国では一冊の発行部数が日本と比べてすごく少なく、本を読む人も少ないという。昔からそうなのか? と聞くと、わからない、と、ほんとうにわからないんだよという顔をして答え、話の流れで韓国では男尊女卑が激しいという話になって、「ほんとうに酷いんだよ」と、私の顔を見て彼女は言った。今日の話はどうだったか、と聞かれ、とても面白かった、と答えると、彼女はほどけるようににっこりと笑った。東京にはしばらく滞在するという。明日は私も毎年覗きに行っている、zineのイベントに参加するという話を聞いて、私も行くよ、また明日ね、と言って別れた。

翌日は電車を乗り継ぎ、イベント会場であるライブハウスへと向かった。このzineのイベントには縁あって何度か足を運んでいて、そういう人が大勢集まる会場やなんかに行くのに結構尻込みしてしまう私は、それでも彼女との再開に心惹かれ、到着した会場で行く度に顔を合わせる事が重なってもはや顔なじみと化した人達に暖かく迎えられ挨拶をかわし、そんな中に彼女は韓国から持って来た本を並べブースを出していた。話しかけると、持って来た本をひととおり見せてくれ、どれがいいと思ったか、なんでいいと思ったか、質問をしてはにこにことしながらメモをして行く。私が運営に加わるスペース、路地と人を見たい、明日は開いていないのかと言う彼女に、明日は休みで開いていないんだと伝えた。それからちょっと迷って、明日は休みだけど鍵を開ける事は出来る、と、片言の英語で伝えてみた。言葉のほぼ通じない会ったばかりの異国の人を案内しいくらかの時を過す、やってみた事のない事だった。でも、やってみたい。やろうと思えばやれる事だった。そういう訳で再び明日の約束を交わした私たちは、さよならといって別れた。

翌日の夕方、約束の時間に合わせて私は水道橋へと向かった。そんな風に毎日彼女に会えたのは、私がその時働いていなかったからでもあったのだが、日々忙しくタスクをこなす彼女にはとてもそんな事言えないと思ったし、すこし引け目も感じていた。
駅で落ち合った私たちは路地と人へと向かった。その時路地と人ではちょうど展示をしていて、その日は展示の休みの日で、室内には展示中の絵や文章がそのまま並んでいた。ここには2011年、東北の大震災直後、現地に移り住んだ二人の女性アーティストがその土地で採話した、現地のおじいさん、おばあさん達が話した戦争の記憶を記録し集めたものが並んでいる。彼女達が現地のおじいさん、おばあさん達の話を聞いた時、なぜだか大震災の事ではなくて、みんな戦争の時の事を話そうとするんだ、という説明をすると彼女は、「読みたい」とつぶやいた。
それから、路地と人についての質問をインタビューのようにいくつか受け、答えられる範囲で答えて行った。英語を長く使って来ていない私は英語がなかなか出て来なくて、とにかくわかる単語を並べたり、携帯で変換して確認してみたり、言いたい事に言葉が追いつかない。あの単語がわかれば、これが伝えられたら。言葉が出て来なくて絶句している私を見ては、「いづみさん!」と、ツッコミが入る。それから、「私、日本語勉強する」と、もどかしさと真剣さの混じった顔をして神妙に彼女は言った。
一通り話終えると、ここからは本の町、神保町が近いからと、一緒に歩いて向かうことにした。大通りを並んで歩きながら、まだまだ聞いてみたい事がたくさん出て来る。本屋の仕事の前は何をしていたのか? 始めは会社で働いていて、あまりに大変で辞めた後、オルタナティブスクールで先生をしていた。聞きながら、また言葉がわからなくて半分も理解できない。外国に来たのは今回初めてだと言う。これからもっと外国に出たいと思ってる、という彼女に、私もそう思う、と答えた。「見て、月が!」ふいに彼女が空をを見上げて言った。神保町に到着した私たちは目に付いたいくつかの本屋を駆け足で覗き、彼女の次の待ち合わせに向かう途中の地下鉄で別れた。

そのあと何ヶ月か経ち、フェイスブックで数人の知人が彼女らしき人と繋がっているのを見つけた私は、ハングルで表記された名前と貰った名刺とを見合わせてみて彼女だと確信し、思い切って友達リクエストを送った。もう私にとっては初めての連続だった。隣の国、韓国で出版活動をしている人が居て、お互い言葉が通じない中、片言の英語で会話をし、会う約束をし、案内をする。何もかも、それでもやってみたい気持ちがほんのわずかな分量、現われては、私を突き動かした。
数日後、嬉しいメッセージが届いた。私を見つけてくれてありがとう。あれから時々、大通りを歩きながら月を見た事を思い出していた。忙しくしているの?
私もよく覚えてる、言葉はあまり通じなくても話したい事がたくさん出て来て面白かった。私は忙しくしていない、何故なら私は仕事にすごく迷いがあるし、そんな自分を観察している。
返事はなかった。彼女とは違って怠惰な自分をさらけ出した事や、英語が不自由とはいえもっと明快でわかりやすい返事が出来なかったものかと、私はとても後悔した。

それから半年ほど経って六月、突然メッセージが届いた。数日後に東京に行く事、もし時間があればもう一度会えないかという事。私はすぐに返事を書いて、よかったらまた私たちのスペースへ来ないか、あなたにもう一人会わせたい人が居るんだと返し、私たちは再会の約束をした。
約束の日の夜、グーグルマップの古い地図に惑わされて散々道に迷った挙げ句、ようやく水道橋の駅にたどり着いた彼女を迎えに行った私達は、花柄のラフなワンピース姿でベンチに座り込んでいた彼女と無事再会した。今回東京には仕事で来たのかと訪ねると、彼女はバカンスで来たんだ、と言った。しかも、最近始めたというスケートボードを抱えて。明日は事前予約をしたスケートボード教室へ行って、その後渋谷の宮下公園へ滑りに行くんだと言う。いいね! と笑う私達に、自分の毎日の生活が退屈すぎてスケボーでもしないとやってられない、と言う。
路地と人に着いて、買って来たいなりずしを分け、一緒に食べながら私達は思いつくまま不慣れな英語で話しまくった。言いたい事がたくさん出て来て言葉が追いつかない。知ってる単語を並べまくる。文法とか、発音とか、もうそんなことじゃない。「夢は?」と聞くと、彼女は「わからない」と首を振った。わたしも! わたしもそう、同じ! わたしたちはたくさん笑い合った。当り前に中途半端なわたしたちについて。