2017年11月14日火曜日

『ある』取扱

『整体対話読本 ある』
(完売しました。再編集したものが2019年10月19日土曜社より出版予定。)

〈取扱〉
東京 |新宿  Irregular Rhythm Asylum (完売)
        模索舎(完売)
香川 |小豆島 迷路のまちの本屋さん(完売)

〈ここでも読めます〉
香川 |豊島  てしまのまど

〈郵送販売〉
一部 2,160円(税込)+送料
詳しくはメールにてお問い合わせください。

〈その他〉
鶴崎・川崎により手売りしています。お声がけください。

〈お問い合わせ〉
tsurusakiizumi@gmail.com
観察と編集 鶴崎 宛て


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冊子『ある』
〈ここでも読めます〉
香川 |豊島  てしまのまど

〈郵送販売〉
一部のみ 200円+送料
定期購読 年間3,000円(送料込)
詳しくはメールにてお問い合わせください。

〈その他〉
バックナンバーの販売もしています。
鶴崎・川崎により手売りしています。お声がけください。
取り扱い希望を募集しています。ご連絡ください。

〈お問い合わせ〉
tsurusakiizumi@gmail.com
観察と編集 鶴崎 宛て

2017年10月19日木曜日

整体対話読本『ある』

2014年4月〜2017年3月まで3年間発行して来た冊子『ある』をまとめて再編集した、「整体対話読本『ある』」ができました。
ご希望ありましたらご連絡ください。
 

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整体対話読本『ある』

話し手 川崎智子(と整体)
聞き手 鶴崎いづみ(観察と編集)   

発行日 2017年10月19日
部数 100部
定価 2000円(税別)
発行 観察と編集 
B6変形/モノクロ/全264ページ
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仕事   働かない人
     認める、褒めると叱る
     働く人
     お金の話
     自分で職業は決められない

気    気を実感する
     気の作用と伝達
     才能と本能
     愉気は本能

感覚   通じない人
     打撲の効用
     痛みが移動する
     性と頭
     愛は骨盤が開く
     人間はゴキブリ並に強い
     食べる運動が好きな人
     スピリチュアルという物語
     殺す事に快感があるように出来てる
     怒りは生理機能
     気持ちと言葉がずれる

虚    寂しさと孤独
     寂しさは西からやって来る
     体の中に虚がある
     受け身で小さくて弱い力
     死ぬのは気持ちいい
     ぺんぺん草を引きちぎる
     なくなる


〈郵送販売〉
税込価格+送料180円でお送りします。
詳しくはメールにてお問い合わせください。

〈取扱〉
東京・新宿/模索舎Irregular Rhythm Asylumにて販売中。
お早めにどうぞ。(完売しました)








2017年9月27日水曜日

整体対話読本『ある』 出版記念イベント

整体対話読本『ある』の発刊に合わせまして、
11月4日、発売記念イベントをおこないます。
最近、「気」にまつわるお稽古を始めた川崎さんとともに、
新宿から水道橋まで気を探り、巡りながら歩きます。
どうぞお気軽にご参加ください。

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整体対話読本『ある』 出版記念イベント 気をめぐる散歩

2017年11月4日(土)
10時 JR新宿駅東南口 集合
(予定時間未定/水道橋・路地と人まで歩く予定)
(予約不要/雨天基本的に決行。中止の場合、twitterにてお知らせします。)
参加料:1000円
案内役:川﨑智子(と整体)
お問い合わせや、当日なにかありましたら担当:鶴崎まで(tsurusakiizumi@gmail.com)

路地と人
〒101-0061東京都千代田区三崎町2-15-9 木暮ビル2階
JR水道橋駅西口より徒歩3分
※『ある』はイベント当日、路地と人でも販売します。

2017年9月9日土曜日

しおかわ民『幼年時代』改訂版できました

昨年1月に製本しました、
しおかわ民(鶴崎正良)の幼年時代を綴った小説『幼年時代』ですが、
本人より40枚ほどの追加原稿が熱い想いとともにどさりと届き、
以前のものより約2倍ほどにエピソードを増やした改訂版が出来ました。
ご希望ありましたらご連絡ください。

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しおかわ民 『幼年時代』(改訂版)

発行日 2017年9月1日
著者 しおかわ民(鶴崎正良)
編集 鶴崎いづみ
部数 50部
定価 1,000円

全108ページ
A5サイズ

〈郵送販売〉
一部1000円(送料込)
 詳しくはメールにてお問い合わせください。





2017年6月2日金曜日

『ある』が本になります


2014年4月〜2017年3月まで3年間発行して来た『ある』ですが、これをまとめて再編集して本にします。発行日は2017年10月19日。事前予約の方には限定でおまけがつきます。どうぞよろしくお願いします。

『ある』
発行 2017年10月19日
部数 限定100部(事前予約のみおまけ付き)
値段 2160円(税込)(送付希望の方は+送料180円)
事前予約の場合、予約後、事前にご入金頂き、発行日に合わせて発送または手渡しさせて頂きます。
 お問い合わせ、ご予約は、tsurusakiizumi@gmail.com までご連絡ください。

2017年5月22日月曜日

無職日記 10

5月20日、静岡県三島市にある CRY IN PUBLIC という共同運営スペースで開かれた、Q.H.Z.F.(Quiet Hills Zine Festival)というジンのイベントへ行って来た。ジンというのはものすごく個人的な事をしたためて自分の思うようにつくる、ものすごく小さな出版物のこと。五年くらい前、友人と三人で突然フリーペーパーをつくり始め、その小さな制作物をきっかけに共同運営スペース「路地と人」の運営へ参加する事になったのだけれど、その周辺にはこのジンをつくる人達がたくさん居て、ジンを置いて貰える所や、ジンフェスというフェスまで所々で開催されている事を知ったし、自分が何となく漠然と感じ取って、これを大事にしたいな、と、もや〜っと思いながら手探りで形にしようとしていた世界観で成り立っているような現場が実際にあるという事を知ったのだった。
そのQ.H.Z.F.へ参加するに当り、これまでの無職日記を冊子にまとめ、日記を一旦閉じようと思います。限定6部、出会った人達に全部配ってきました。無職から脱しつつあることもあって、ひとつの区切りとして。




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あとがきと補足

いままで個人的にチラシなどの作成を頼まれる事が時々あって、これで食べて行けるんじゃないか、宣伝してみたらどうかと何度か言われていたが今まで気が進まなかったのだけれど、困り果てた勢いでウェブ上にデザイン受注のページを作ってみた。前職を失ったとき、会社にはもう通えないんじゃないか、どうしようかと思いながらも、今の私にはどこかに勤める以外に生活費を稼ぐ方法がない事をはっきりと意識した。

同じ頃、私が大好きな作家が個展をしていて、その人に会いに行った。ものすごいエネルギーで大量の文を書き絵を描き歌を歌い続けるその人は、毎朝五時に起きて日課として制作を行っているという。鍛えるようにつくっているのだ。頑張っているのだと思ったとき、今まで私はどうしてもつくりたくなる、つくらなくてはならなくなるその時が来たらつくるものだとその時を待っていたのだけれど、つくるっていうことは結構頑張ることなんじゃないかと思い当った。

ないのならつくればいいのだ。自分の力を使って。力は鍛えればいいし、鍛える事は出来る事だ。運動と同じだ。

受注のページを作って少し気持ちが楽になった気がする。いざとなれば自分で自分の力を使って仕事をつくる事が出来ると思えば俄然、体は能動的に風を切って進む気分をおびて来る。

2017年5月19日金曜日

無職日記 9



だんだん無職を脱しつつある。

今週から大学での彫塑の授業の頭部モデルバイトというものへ通っている。十年前くらいに縁あってアルバイトをして、思う所があり会社に通い、辞めては戻り、また会社へ行き、辞めては戻りを繰り返していて、また一年ぶりに戻って来た。この授業では女性の頭部モデルが8人くらい集合し、それぞれ決められたモデル台の上へ座り、一人のモデルを10人くらいの学生が囲んで観察しながら粘土で頭部の形をつくり、その後石膏どりをして最終的に石膏の頭像をつくり上げる。午前中3時間の授業を週6日、これが約1ヶ月くらい続く。

3時間の間、モデルは20分じっと座って10分休憩する事を繰り返す。特に大変な事はないがだんだん腰が痛くなって来る事と、眠くなる事、寒い日もあったり、あとは顔の一部に時々強烈な痒みを感じたりする事があって、そうなると手も足も出ず、痒みがぴりぴりと移動したり、少しずつひいて行く感覚を観察しながらやり過ごす事になるが、何か虫がとまっているとかそんな事はまずない。午前中は建物の東側の光が強く、まぶしくて目を開いているのが大変になって来て眠気に襲われると、意識的に深呼吸をする。肺の中にたまった息を吐いて吐いて吐いて、これは思った以上に吐けるのだが、そうやって吐ききったら少し息を止め、また吸う。吸って吸って吸ってこれでもかというくらい目一杯吸ったとき、ちょっと意識が戻る瞬間がある。

学生はまだ始めてから四日ほどしか経っていないのにもう頭と同じ大きさくらいの粘土のかたまりをつくりあげていて、ぼんやりと目や鼻や髪の形が出てきているものもある。大体この授業では、中盤にさしかかるともう手を入れる所がないと判断した学生達がだれ始め、そのタイミングで先生達が形が見えていない所、大きく違っている所、もしくはもっと細かい形があるというような事を伝え、学生達はまた作業に戻って行く。
一つの形をよく見る事に1ヶ月を費やす。久しぶりに戻ってみると、なかなかいい時間だなあと思い、それから、本当はそれくらい物事はゆっくり進んで行くんじゃないかという事について、改めて思い巡らせている。


2017年5月7日日曜日

無職日記 8

 

今日は1日中眠い。

昨日は沢山歩いた。代々木へ行ってかんかん照りの中クレープやケバブを食べたし、不思議なデザートという名前のデザートを出している店で、値段の書いてないカフェオレを飲み、暗くなってから思いついて初めて新宿ゴールデン街に足を運んだ。そこから歌舞伎町をふらつき昔行った事のある雑居ビルの屋上に広がるアジアの屋台に入り込み夕飯を食べた。とてもゆっくりと生きているように感じる友人二人と話し、ゆっくりと時間を過ごしていると、人の時間というのは私が思っているよりずっとゆっくりとしているのかもしれないという感じがして来て、もうどこか、時間がなくなって行くような感覚がして来て、そこから、いつもどこか急いでいるような自分がふうっとあらわれて来る。

へとへとで帰って眠ったら今日は昼に目が覚めて、でも起きてもずっと眠い。眠くなったら犬や猫のように横になって眠って、目が覚めたら起きあがる。

昨日はいろんな集まりを見た。みんな気の合うもの同士集まってわいわいやっていた。代々木の公園でフェスを立ち上げ集まっていた人達も、バーに集い共にお酒を楽しむ人達も、私が自由を感じられる場に足を運ぶのも、国という仲間意識で集い盛り上がる人達も、みんな集まってわいわいやっている。たぶん同じ事なのだ。

夜に雨が降りそうで降らなかった。みんな今も、ゆっくりとゆっくりと、起きていたり、眠っていたりする。

2017年5月5日金曜日

無職日記 7



だんだん動く方へ意識が向かい始めていて、日記が滞ってきた。

私はこの間、父が自宅で展覧会をするのに展示のアドバイスが欲しいと言ってると母が言うので、福岡の実家へ四日間帰った。今まで何度も職を変えて来た私は、実家へ帰るたび父母に仕事のことや将来のことを問い詰められ、年金を払え、年金を払わないとどうなるか調べてみろと問い詰められ、心がかき乱され重くなり、本当に実家はいい事ないな、でも今度こそは心を奪われないようにしようと思いながら帰ったのだが、駅まで車で迎えに来てくれた母に「また違う仕事されてるんですか?」と当り前のように聞かれて、私のリズムがそういうものとして存在感を持ち始めていると思ったし、父には「漫画家なんかどうだ?」と言われて拍子抜けした。いつもは喜びを爆発させて飛びついて来る犬のはなこの反応が鈍くなっていて、ここ五ヶ月で変わって来ているものがある事をなんとなく感じとった。

実家では30点並べる予定の絵が56点に増えていた上、展覧会が始まる二日前に準備は全て済んでいて、本棚の上に大きい絵をのせる時に母が来るのを待ちきれなくて、父が一人で上げようとしていたら転んでお腹から血が出たんだけどもう治ったとかいう話を聞いて、とても元気だなあと思った。

父は66歳、躁鬱の傾向があって、いまは躁の状態を薬で抑えていてちょっと目つきがとろんとして呂律がうまくまわらない。父が自主的に飲んでいた躁を抑える薬がなくなりそうになっているのを見計らって、元看護婦の母が病院から薬を貰って来てこっそりご飯に混ぜてるという話を聞いた。公立高校の美術教師だった父は学校を転々としている間に荒れた学校へ当たり、それをきっかけに鬱が始まったという話を聞いた。その父が今回帰省したとき、俺は本当は教師ではなくて猟師か刀鍛冶が向いていたという話をしていて笑ったのだが、本当に猟師か刀鍛冶になっていたら今ごろもっと穏やかな人間になっていたんだろうか。

父は頑固で頭に来る事があるとすぐに友達と絶交してしまって友達が殆ど居ないのだが、近所に住んでいるようこちゃんという83歳のおばあちゃんの友達が居て時々遊びに来る。父はようこちゃんに足が痛いから病院まで車に乗せてってくれと言われて手間賃一万円をとったり、父の主宰する画塾にようこちゃんは通っていて、途中で描けなくなると父に描いて貰って最後に自分でサインを入れて絵のコンクールに出して賞をとったりしている。二人はそういう遊びをしている。

犬のはなこは放し飼いで、好きな時に外に出て行き好きなだけふらふらして好きな時に戻って来る。最初は近所の人に畑を荒らすから放し飼いにしないようにと怒られたりしていたけど最近怒られなくなってだんだん家の周りに放し飼いの犬が増えて来ているという話を母から聞いていたが、二軒隣の放し飼いの犬が勝手に家に上がって来てはなこのご飯を全部たいらげて行く所に出くわし、母が、普段はお座敷に排泄まで済ませて行く、はなこはこの犬にだけは吠えない、親戚だと思っているんじゃないかと言っていた。

高校まで居た実家は重く苦しく、父もとにかく傲慢で、酒を飲んでは大きい声で歌ったりわあわあ言ったりして大嫌いだったし、こんな所には居たくないと思っていたけど、いまこの年齢になってみると、とにかくみんな好き放題していていちいち笑える。底のほうにこんこんと流れるおおらかさと明るさがあるのだ。 土地柄なのか、私が年齢を重ねてそれを感じ取れるようになったのか、時間を置いて再び同じ所を見てみると、以前は見えなかったものが見えて来ている。

私の家。









2017年4月27日木曜日

無職日記 6



言葉の意味が後からわかる、という事が時々ある。

今まで何となく気になっていたけど足を踏み入れていない所へ行く事を最近時々していて、昨日は国立市にある谷保天満宮という所へ行った。南武線谷保駅で降りると、一年程前に辞めた水道検針員時代に担当していたビルや家が建ち並んでいて、電車を乗り継いで遠くに来ているはずなのに、私とその場所との距離はまるでなかった。谷保天満宮自体は思った程奥行きはなく、帰りにおみくじを引いたら心安らかに人に尽くせ、と出た。

そこから自宅のある東大和市へと、北へ北へと歩いて北上して行った。私の自宅は国立駅から真北に位置していて、今までやや迂回するルートしか知らずその道しか歩いた事がなく、でも昨日は歩いた事のない道をとにかく北へ北へと直線で歩いてみるようにしていたら、ほぼ迂回する事なく自宅へと辿り着いた。

整体を知り始めた頃、あなたは歩いた方がいい、歩くと頭がまわるようになる、目的もなく一日四時間くらい歩いたらいいと言われて、歩く仕事である水道検針を始めたのだったが、自主的に目的もなく四時間歩く、という事は結局ほぼしなかった。昨日は歩きながら、その事を思い出していた。

私はいつも目的を探してしまう。仕事も、歩く時も、なにもかもに目的を探して、全てが目的に向かって行けるよう、そうなっているか大丈夫か全体を見ようとして、こんがらがってよくわからなくなって立ち止まってしまう。目的なく歩くのは難しい。だって目的もなく歩くということは、ただ動くという事だ。そういう事だったのだ。

私は仕事がしたい。この一つの欲求から始めればいい。全体はもうみない。動くだけ。



2017年4月26日水曜日

無職日記 5



昨日は風が冷たくて、一日中体が冷たかった。遅く起きてメールを返し、お昼過ぎに銀行に行って、帰って本を読もうとしたら眠くて眠くて、けれども眠る事もなくいつも歩く道をぐるぐるぐるぐると歩いた。ぐるぐると同じ所に留まり続けるような毎日だけれど、この日記を書くようになって、一つのまとまった文章を完成させる度にちょっとだけもやが晴れるような感覚があって、実際私の意識は少しずつ変わり始めている。

私は働きたくない訳ではない。私はむしろばりばりと仕事がしたい。同時に、私は個人的な事がしたい。そういう訳でいま、私はここぞとばかりに閉じこもって文章を書いているのだが、仕事をするという外に向かう行為と、個人的な事をするという内に向かう行為、この二つの事が自分の中でバランスがとれず、わからなくなるといつも立ち止まってしまうのだけれど、もっと言えば二つどころかもういくつかあるような感じがしていて、どんどんどんどん私の頭はこんがらがって行き、いま、私は立ち止まっている。

それでも私の意識はものすごくゆっくりとしたスピードで変わり始めている。ぐるぐるぐるぐると、毎日毎日同じ所を歩きながら、ものすごくゆっくりと変わって来ているもの。もしかしたらこれは、元々ものすごく時間のかかるものなのかもしれない。思っているよりずっと、時間のかかるものなのかもしれない。



2017年4月23日日曜日

無職日記 4



昨日は上映会で映像を見た。秩父の村の子ども達の誕生から成長の過程でおこなわれる通過儀礼を記録した、40年前くらいのドキュメンタリー映像。誕生して、成長する過程でおこなわれる数々の儀式や、祭りへの参加など、子どもはもちろんその成長に付き添う大人も、決まった時期になるとあれやこれやと決まった行為をおこなっていく。その映像をぼーっと眺めていた私は、やる事多いなーと思いながら見ていた。
人間の社会にはやる事が多い。家族や村の中で節目節目でとりおこなわれる儀礼は、それをおこなっている人々の中に、ある運動と時間を生み出しているように思えた。なにか分からないがする事やそれをする時期が決まっていて、みな何かの役割を担っている。それは会社に勤めたり、ある社会的なモデルに従って時間を過ごすという事にも似ていて、会社からも村からも家族からも外れて、いま、ぽっかりとした時間の中に居る私は、ただの生き物みたいな感じかな、などと思った。

木の事を時々考える。
私が毎日毎日どこかに通ったり、なにかあたらしい事を経験したり、あたらしい人と出会って面白いと感じたり、苦しいと感じて家から出たくなくなっている時も、ぴかぴかに晴れている今日のような日も、長く雨が降り続く日も、オリンピックで浅田真央ちゃんがメダルをとったり、物騒な方向に政治が進んで、自由を奪われていく感覚を人が感じている時も、私がここに住む前から、いまも、ずっと一つの所に立ち続けている木の事。


2017年4月21日金曜日

無職日記 3



職場に通うという事がなくなると、ぽっかりと時間が出来て自分の感情に向き合わざるを得ない。不安な気持ちに襲われると、意識的に散歩に出る。今住んでいる家にはもう八年くらい住んでいて、移動したいと思いながらも他に行きたい場所も浮かばず留まり続けているが、この辺りには所々に変な空き地があって、そういう所は気に入っている。

絵を描こうとするんだけど手が止まるんです、という話をした事がある。絵を描こうとする自分がいて、そうすると私の中のもうひとりの人が、本当にそれでいいのか?と割り込んで来て、手を止めるんだ、という話をした時に、あなたの中にはもうひとりどころではない、何人か居ますね、と言われた事がある。それはその人達が何を言っているのか良く聞いて、理解しないと先へは進めないと。私が無職のときに感じる不安はこの辺りから来ている気が、最近している。

焦って不安になって、仕事を探している時に、何を焦ってるんだろうとふっと思ったのは、前回の無職のときだった。どうしてお金がなくなるからという理由で、したくもない仕事に飛びつく必要があるのだろうと、ふっと思った。それは私がしたい事なのか、母がしたい事なのか、社会がしたい事なのか。何が私を急かしているのか。考える軸の位置と時間の進み方が、わからない何かから私の方へと、少し移って来たように思った。

私の無職は私のものだ。誰にも渡したくない。



2017年4月20日木曜日

無職日記 2



昨日は山に登った。
平日だけど結構にぎわっていて、おばあさんは杖をついてひょいひょい山道を登って行くし、赤やピンクやエメラルドグリーンなど、カラフルな色の服を着ている人を多く見かけた。常に風が吹き抜けていて、木も音も光も動き続けていた。

仕事で外出する事無く家に居ると、とても運動不足になる。今までは外で働く事で運動しようと考えている所があった。職場で動いて運動して、人と話して、運動不足を解消する。そして家でじっと自分の仕事をする。職場と家の往復というサイクル。でもどんな職場に行ってもいつも空しさがつきまとい長続きしなかった。

そこから運動を考えるようになった。動く事が必要なら、行きたい場所に行ったらどうだろう。まだ行った事無い場所に行ってみるのはどうだろう。会いたい人に会いに行くのはどうだろう。話したい人と話しに行くのはどうだろう。私の欲求から生まれる動きが運動になって行く。

今まで動いている気になっていたのかもしれない。ただ動いて、動いてる気になって、お金を使って、動かしてる気になっていたのかもしれない。

能動的に動きをつくる、という事を考え始めている。

2017年4月18日火曜日

無職日記 1



三月末に、三ヶ月ほど働いた中国人予備校のアルバイトを首になった。
首になる、という事は初めてだったが、窓のない密室で六時間パソコンの前に座っているというデスクワークが辛過ぎて、長くは勤まらないだろうと思っていた事に加え、最近の私は経験そのものが何でも面白く、失敗しても、悲しくなっても、物事が動いている、その変化そのものの一つ一つが面白く感じられ、首になって喜んだ上、面白がってしまった。もう会社には戻れないだろうなあ、という事には薄々勘付いている。

学校を出て最初に就職した編集プロダクションを二年半程で辞め、その後はどこに行っても腰掛け気分が拭えず色んな仕事を転々として来たが、無職になるたびお金がなくなるという恐怖と、みんなが働いている時に働いていない自分の浮いた感じにどうしようもない居たたまれなさと焦りを感じて必死に仕事を探す、という事を繰り返して来たが、再び無職になったいま、私は落ち着いている。この無職という状態の自分を観察していると色々と面白い。焦る気持ちに振り回されるのではなく、何に焦りどう振り回されているのかじっとよく見るようにする。どうやら無職にも成長があるらしい。これからこの無職が続く間、感じた事をいくつか書きとめて行ってみようと思う。もうちょっと早く始めておけばよかった。



鶴崎正良 油絵展

父が自宅で個展をするそうです。
10人は泊まれると言ってましたが、私が帰っても部屋は無いと言っていたので、泊まれないと思います。
行きたい方居らしたらご連絡ください。

「鶴崎正良 油絵展」
新作10点を含めた50点ほどの展示
会期:4月30日〜5月7日
時間:11時〜16時(5月5日のみ13時〜)
会場:鶴崎正良 自宅
(福岡県柳川市※西鉄柳川駅から徒歩15分)

2017年3月11日土曜日

ある 36 なくなる②


- 人がなくなる
- 存在感
- 気
- 習慣
- 宗教
- 偏り疲労
- パソコン
- 行動力
- 飽きる
- 困らないとなんない
- 自分がいなくなったらどうだろうなって考える事
- 一日単位でものを見る
- 社会の時間
- 自分では変えられない働きと、自分で変えられる時間の運動二つある
- 年金
- 自分のペース
- 工夫する
- 忘れる
- 丈夫になる

発行 2017年3月12日
部数 200部
定価 200円
B6四つ折り

在庫あり

2017年2月11日土曜日

ある 35 なくなる①


- 元気になる
- 三年
- 整体は生きてる人をみる仕事
- 欲求
- 納得して終わる
- 虚
- 無
- いなくなる
- 予定がなくなる
- 分岐
- 終わらせる
- 内側に自立して自分の運動がある
- 適当
- 予定通りに行く
- 何とかなる
- 健康
- 自立的な調整が勝手に起きて整ってしまう状態の事を整体という
- 整体である

発行 2017年2月12日
部数 200部
定価 200円
B6四つ折り

在庫あり

2017年1月9日月曜日

ある 34 つくる人

- みんながつくれる訳じゃない
- 評価するような人間が体の中に居る
- 価値
- 評価
- 創造
- 創造性は価値観とか、評価っていう、そういう小さい枠には入らない
- どんな生き物も創造性を持ってる
- 才能
- 創造性には時間が要る
- 創造性を優先する生き方
- プロかアマチュアか
- 現実
- 材料
- お稽古事
- 覚悟
- 一本にして行く

発行 2017年1月8日
部数 200部
定価 200円
B6四つ折り

在庫あり